キャンプ

帰るところに帰るために、旅にいく。ソロキャンプもいいもんだ。

つらつらと思う・・

帰る為に、旅をする。

帰るところがあるから、旅をする。

「帰りたい」と思ったら、帰りどき。

人は一人では生きられない。

「帰りたい」と思ったら、気持ちが安らいだ証拠。

三日泊まった一人のキャンプ。四日目の朝。

ふと思う「もう帰る準備しようかな」と。

しがらみがしんどくなったら、旅をする。

「いなくてもなんとかなるもんだ」と理解する。

なにができていたのか思い返して、

誰かになにかをしたくなる。

またなにかしてあげたいと思ったら、帰りどき。

持って帰るは、自分らしい自分。

得られるは、自分らしさとはなにかということ。

四日目の昼。誰かになにかをしてあげたくなった。

「ぼちぼち帰ろう」と自然に思った。

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思い返して・・

嫁と育児についてけんかをして「育児疲れだからしっかり休んでこい」と言われた後のソロキャンプ四日目の朝に感じたことをつらつらと書いてます。

ソロキャンプ三日目までは大して何も感じていませんでした。でも四日目の朝ふと「帰ってなんかしたくなってきた」とじわじわきたんですよね。

どうにもしがらみの多い世の中、共感しやすい私には、目に見えるものすべてが「自分が助けなければならないこと」に見えてしまうようで、あれもこれもやんなきゃと自分を労わることをどうやら忘れがちだったようです。

そういう意味で、嫁とケンカし「休んでこい」と言われたことはとてもありがたいことでした。

パパっ子の娘は連れて行くつもりでしたが「ひとりで行け!じゃないと休めない」との嫁の一言はまさに「たしかに・・」と感じさせられ、同時に「自分を労りきれてない」と実感させられました。

「社会の中で生きる」

年間40泊する私ですがソロキャンプは生まれて初めてです。一人の空間、ゆったり流れる時間など魅力に語られることが多いソロキャンプですけど、本質は「社会の中で生きる人が、自分らしく社会に戻る為にあるもの」なのかなと感じています。

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「みんなで協力して大きなことを成し遂げる」はるか昔からの人の強みです。でも同時に社会の中の共同体で生きる上での「生きにくさ」があるのも事実です。要は人間関係のストレスってやつです。

「ひとりでできることには限界がある」「認知には限界がある」だからこそ、繋がりは強さの源になりうると思います。しかしSNSなど情報通信が発達している現代においては繋がりによる「生きにくさ」が顕著に顔を出す。そんな今なのではと感じています。

だからこそ今回のソロキャンプはとても有意義なものに感じられました。もしも似たような「生きにくさ」を感じておられる方がいらっしゃったら、ゴールを決めずに旅に出てみるのも案外悪いもんじゃない、と感じてもらえるかもしれません。今回はそういったことを深く考えさせられました。

それから嫁がたまにnoteをみるとのことで、見られて困るもんでもないけど感謝だけはしておきましょう。

「今回の提案はとても感謝してる、ありがとな」

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