生き方・成長の仕方

相手に合わせる生き方に限界が来るのは、とても普通の話だ。うどんを食べたい娘の話。

相手に合わせる。だからうどんが食べられない。

相手に合わせる生き方はすぐに限界がくるもんだ。

たとえば、私は本心ではうどんが食べたいとする。
そんなとある日の昼、ご飯に行こうと友達に誘われたとする。

友達はパスタを食べたいと言っている。だけれども友達は親切にも、何が食べたいか聞いてくれている。

そんな時、私は一体どうするんだろうね。
友達に気を遣って、パスタを食べに行くのかな。

私の希望なんてものは絶対じゃない。だから、曲げることは可能なんだ、と私は私を説得してみる。なるほど意外とできるもんだ。

だから、パスタを食べに行く。いざこざなんて面倒くさいし嫌いだ。自分が折れればいいだけだもの。相手に合わせてあげよう。

でも、果たしてこれでいいのかな。私を説得してはみたもののちょっぴりうどん食べたかったな。

とある昼。何を食べたいか最早わからない。

とある日、また食事に誘われた。

今度は、三人だ。

相変わらず私はうどんを食べられなかったことを引きずっている。なんともバカな話だ。

いつも遊ぶ女の子は、ラーメンが食べたいそうだ。
いつも一緒に勉強する男の子は、蕎麦が食べたいと言っている。
なにかと競う仲のいいライバルの女の子は、パスタがいいそうだ。

それでも三人は、私に何が食べたいか聞いてくる。
困ったもんだ。そんな時、私は悩む。

誰かに合わせようにも合わせられない。
みんなの食べたいものはバラバラだ。
みんなの好きなものはそれぞれだ。

いっそ、誰かが妥協してくれないか。
こんな状況で、うどんが食べたいなんて言えるわけがない。

誰かに合わせると、誰かを悲しませると思い込む。
誰かに合わせると、誰かに嫌われると思い込む。

私は一体、誰に合わせたらいいんだろう。
私は一体、誰を気遣ったらいいんだろう。

だから、悩む。だから、困る。

どうせなら誰よりも自分を気遣う。

まあ、そうなんだよね。
こんなもの全員に合わせることなんてできるわけがない。

ひとりなら大丈夫。でも三人だと難しい。もっと増えたらどうなるんだろう。私は誰彼構わず相手に合わせる。

合わせた数だけ、私を殺す。
そうして、私はただただ気付く。

ひとり、合わせていない人がいる。
ひとり、気遣っていない人がいる。

私は、私のことを忘れている。
うどんを食べたい私のことを忘れている。

周りに合わせることができやしないのなら、
せめて、私に合わせよう。
せめて、私に気を遣おう。
誰より、私を大事にしよう。

そうして私を生かせたならば、他人を気遣う気持ちは生まれるもんだ。そこから、みんなに訴えよう。

「みんなのことが大好きだから、全部食べに行こうよ」

・・・

そんな訳あるかい!!

今日、うどんが食べたいのに、みんなに合わせてラーメンでもいいよ、と言った娘へ。