社会で中で適応する調和性とは?
「今日は昼間っから娘を叱ってしまったよ・・」
ふーん、なんか後悔することなのかい?
「いや、決してそんなことはないんだ。社会ってのは信頼や協力で成り立ってるしね」
「相手のことを思いやる。そういうことが足りてなかったから怒ったんだ。だけど、そういうことが苦手な人だっているのかもしれない。言いすぎたのかなと思っていてね」
ふ〜ん、なるほどね。まあ性格の50%は遺伝だと言うからね。そんなに心配しなくてもいいんじゃないかな。
社会の中で生きるならさ。人を思いやるってのは大切さ。そういう資質をなんというか知ってるかい?
「いや、なんて言うんだい?」
調和性さ。和を調整するサガと書いてチョウワセイ。調和性は相手の気持ちを察して、共感できる。そしてその気持ちが判断や行動に影響する。人の個性の一つだよ。
人の個性はね。外向性、神経質傾向、誠実性、調和性、開放性。この5つのパーソナリティの強弱の組合せでできている。
そうしてね。調和性が高ければ、社会の中でうまく協力しやすい。「向社会性」って言ったりもする。
調和性が低いと「冷たい」とか「敵意がある」とか「いうこと聞いてくれなさそう」とかそんなイメージさ。
まあ、心配しなくてもさ。人間にはそもそも周りと調和するという資質が少なからずあるんだけどね。
たとえばさ。こんな心理実験がある。独裁者ゲームって言うんだけどさ。聞くかい?
「お願いするよ」
・調和性とは、相手の気持ちがわかること。共感できること。そしてそれを行動の選択基準にする度合い。
・パーソナリティ5要素:外向性、神経質傾向、誠実性、調和性、開放性
・調和性 高:社会に順応しやすい「向社会性」 低:冷たい・敵意あり・低順応性。
調和性のベースになる他社配慮選好という性
ゲームに参加した人、例えば君に1万円が与えられたとする。そうして、もうひとりのゲームの参加者と好きなように分けるように言われるのさ。
さて、1万円を手にしたした君は、もう一人にいくら渡すかな?
「・・・まあ半分じゃないか」
そう、大抵の人はそのあたりの金額を渡すんだ。
独裁者ゲームっていうくらいだ。1万円だけ相手に渡すでもいいのにね。ところがもう二度と会わないだろうという人でも結果はそう変わらないんだ。
さらに、もうひとつ。
お腹をすかせた君の目の前にレバーが二つある。レバーを倒すと美味しい食べ物と冷たい水がトレーに乗って出てくる。
当然、すぐにでもレバーは倒したいところだ。ところが君の向かい側にも空腹の人がいる。どうやら君と同じ状況らしい。
一つ目のレバーは自分だけにトレーが運ばれる。二つ目のレバーは自分と向かいの人にもトレーが運ばれる。
さて、君はどっちのレバーを倒すかな?
「そりゃ、二つ目のレバーだろ」
なぜだい?
「なぜって、どっちでもいいなら相手も助けられる方がいいに決まってるだろ」
なぜ?といいたいところだけどそれが人さ。
不思議な話で人は周りの人に配慮するのが好きなんだそうだ。学者さんの中では「他者配慮選好」というそうだよ。
ちなみにこれと同じ実験をチンパンジーにすると、どちらのレバーでも自分が得するとわかった途端当てずっぽうにレバーを倒すらしい。
チンパンジーにはまわりに配慮するって考えが初めからないみたいだね。
進化の観点から言えば随分不思議な話さ。相手を助けるヒマがあったら自分が生きることを考える。そっちの方がよほど生き延びることができそうなのにね。
「人間らしいじゃないか」
そうだね。そこが人が人たる所以かもしれないね。
人は一人では生きていけない。協力することで大きなことが成し遂げられる。
協力や信頼ってのが大昔から人が生きてく上で大切なことだってことが、体に刻み込まれているのかもしれないね。
「そりゃ逆らえないね」
・人は生まれながらに周囲に配慮する「他社配慮選好」の性質がある。
・すべての人に調和性はある。人は信頼、協力するいきもの。
調和性の高低の違いによる良し悪し
でも、調和性が低い人も現実にいるのさ。
「なんだか、怖いね」
いや、そうでもないさ。たとえば、僕的にはハイジに出てくるお爺さんなんて調和性は低そうだと勝手に思っているけどね。いや違ったら本当にすまない。
山小屋でハイジやペーターなど生きる上で最小限の人たちと幸せに暮らしている。
生きるのに不自由しているとは思えない。むしろ自分の個性が活きる生き方をしていると思えるよ。調和性が低くても幸せな人はいる。
それにね。調和しすぎるってのが辛い時もあるんだよ。共感が仇になる時もあるのさ。
相手の気持ちがわかる。相手の気持ちに共感できる。そうして、その気持ちが自分自身の行動にも影響する。
いろんな人の気持ちがどんどん入ってくるとね。あの人の気持ちもわかる、この人の気持ちもわかるとなるんだ。
そうして自分を犠牲にして、周りの為に尽くしすぎると鬱っぽくなっちゃう時もあるんだぜ。僕のことね。
「・・・」
それにね。みんなの意見を取り入れていたら良いものができない時だってある。
何かを決断する時には高すぎる調和性は邪魔になることがあるってことさ。調和性が低い方がリーダーに向いているそうだよ。
他にも、想像力豊かで開放性が高く、調和性が低いと芸術家の才ががあるとも言われている。
芸術家って一般人には理解し難い感性のひとが多いように感じるけど、たしかにそうかもしれないね。
ま、調和性が低い方が活躍できる場所や時代も間違いなくあるってことさ。
SNSやインターネットが発達した今はさ。
たくさんの情報がリアルタイムでどんどん入ってくるんだ。調和性の高さが仇になる場合はたくさんあるのも事実さ。
そういえば以前、鈍感力って言葉を聞いたことがあるけれどね。適度に鈍感な方が幸せかもしれないと考えていたこともあったな。
「以前?」
そう以前。今は違うと思ってる。あえて鈍感になるってのは、相手の気持ちをシャットアウトするようなもんじゃないか。
相手の気持ちを受け止め、なおどうするか決断する。情報がたくさん溢れている今だからこそ、そっちの考え方の方が大事だと思うのさ。
「お前の気持ちはわかった。だが気持ちには応えられない」とか、「お前の気持ち確かに受け取った。あとは俺に任せろ」みたいにね。
決して、自己犠牲的にならずに自分の判断をカッコよく言いたいものさ。
話は戻るけどね。調和性とは、まさに人らしい特徴とも言えるけどね。調和性が高いから良い、低いから悪いってことにはならないのさ。
結局は「時と場合による」ということさ。自分ってのがどんなやつなのか、自分を知る。そうして、振る舞い方を決めればいい。
調和性が高いのか、あるいは低いのかどっちでも良いけどさ。
それさえわかれば、それに沿って生きるも、逆らって生きるにしても対策の取りようがあるってものさ。
そうして、自分を活かす生き方が選べればもう少し、幸せな人生が送れるんじゃないか、とそう思うよ。
だからね。君は君で娘の個性をしっかり活かせるようにしてあげたらいいんじゃないかな。
「・・・うん。確かにそうかもしれないな。ありがとう」
・調和性が低くても幸せな人はいる。
・調和性が低い方がリーダーに向くと言われている。
・調和性、解放性が低い方が芸術家に向くと言われている。
・調和性の高低による良し悪しはない。
・自分の調和性に合った活かし方をすることが大事。