活かす力

「捨てる」ことの真実。自分が活きる5つのメリット

・省エネによる自分の活かし方
・所有しないことの意義

捨てるということ

「片付けないなら捨てるよ」これは私が娘によく言う言葉です。

なかなか片付けない娘に対して、怒りの余り伝えているのかというとそれだけではありません。注意散漫な状況を嫌うからでもあります。

私は娘や息子には「捨てる」ということについて真剣に取り組んでもらいたいと考えています。

今回は自分を活かすためにはどうしたらいいのか、捨てるということと自分を活かすことがどう結びつくのか、そんなことについてお話したいと思います。

さて「捨てる」とは「選択する」ということでもあります。なにかを選び取る、そうしてなにかを捨てる。この「捨てる」を行うことで得られるものがあります。

それがこれら5つです。

・時間が生まれる。
・金銭的余裕が生まれる。
・集中力が高まる。
・したいことが見つかる。
・満足感が得られる。

私は娘と息子が自由に生きられることを望んでいます。そのために自分の力を最大限発揮して欲しいと願っています。

しかし現代においては「モノ」に縛られており、「モノ」に無自覚である限り自由を得ることは難しいように思います。

なぜでしょうか?

それは現代があまりにも魅力的な「モノ」に溢れかえっており、様々な誘惑が至る所にあり、その全てがおおよそかんたんに手に入る便利さがあるからです。

例えば、こんなことをご存知でしょうか?

・アメリカの家庭はおよそ30万個ものモノで溢れている。
・1日に知覚する広告の数は5000とも言われている。

ジョシュア・ベッカー著「より少ない生き方」より

便利すぎることが不便を生む。なんとも皮肉な話ですが、このように現代はモノに溢れています。

無自覚であればあるほど、たくさんのモノに私たちの時間はかんたんに奪われてしまいます。

なにが大切なのか、なにに集中するのか、自分を活かす鍵はそこにあります。その鍵になるのが「捨てる」ということです。

私は娘と息子には目の前のことに集中して取り組んで欲しい。だからこそ捨てることに自覚的になって欲しいと思っています。

それでは一つずつ掘り下げてお話ししていきましょう。

時間が生まれる

管理にかかる時間

おおよそ想像がつくかもしれませんが、捨てることで時間が生まれます。モノを管理する時間がなくなるかです。習慣になっている場合特に大きい効果が得られます。

モノを・・

保管する
取り出す
使う
しまう

置いておくだけで埃が溜まるのでたまには掃除をしなくてはなりません。使う際には取り出します。どこにしまったかわからない場合探す手間が増えます。

散らかった部屋でモノを探す、大抵の人は経験があるのではないでしょうか。重ねて収納していたら余計に取り出す手間が増えることになります。

使うと一言で言っても大抵は必要なこと、大切なことに使いますので問題ありません。でも惰性で続けている悪い習慣などは例外かもしれません。私の場合であればビールがそれに近いかもしれません。

これは行為そのもの「事(コト)」といってもいいかもしれません。でも同じように手間はかかります。

ビールを飲む習慣を捨てる

私は24缶入り1ケースで買うのをやめたのですが、時間は増え体重が減りました。しまう際も探すことがないというだけで使うのと同様の時間が必要になります。

さて、気晴らしに毎日飲んでいたビールを週3日にして4日間はやめることにします。

30分程度の時間でも、週に2時間、月に8.5時間、年に104時間の時間が生まれるものです。

0.5時間×4日×52週=104時間

簿記3級の資格がおよそ平均100時間で取れることを考えると成長に投資するというのは決して悪くない選択ではないでしょうか?

金銭的余裕が生まれる

管理にかかるお金

管理する必要がなくなるわけですからそこにかけていたお金も必要なくなります。

さきほどのビールを例にとってみましょう。

さて、気晴らしに毎日飲んでいたビール(500ml缶)を週3日にして4日間はやめることにします。

西友の黒ラベルが1缶256円ですのでさきほどと同じように計算すると・・

256円×4日×52週=53,248円

になります。子供であればガチャガチャに置き換えてもいいかもしれませんね。PS5買えちゃいますね。

車を捨てて見る

私が生活必需品という理由で捨てたいけれども捨てられない車を例にとるとよりインパクトが伝わるかもしれません。

車は所有しているだけで管理費用が馬鹿みたいにかかります。
私の場合はおおよそこれぐらいかかります。

(月にかかる費用)
車検代 5800円
車両税 3300円
法定点検代 2000円
駐車場代 0円
タイヤ 2400円
保険 5400円
合計 18900円
*数年に一回かかる費用は月当たりの費用に換算

1年に換算するとおよそ22万円です。この他、駐車場やガソリン代がかかるとしたらおよそ50万円が年間でかかります。

さて、車だけではありません。塵も積もれば山となるといいます。この機会に「捨てる」ことを考えるのも良いのではないでしょうか。

未来に使うお金が減る

もうひとつ大きなメリットがあります。それは何にお金を使うべきかわかるようになるということです。

いつまでもずるずると持っていると何が必要で何が不要だったか学べません。フィードバックが得られないということです。

でも「捨てる習慣」を作ると学習できるようになります。
これは子供でも学べることだと思っています。

先日、5歳の娘に「しまうところがないくらいおもちゃが多かったらサンタさん来ないかも!」と伝えて捨てるモノを一緒に選んでいました。

そうするとつい1ヶ月前に買ったすみっコぐらしの300円のガチャガチャを捨てると言い出したんです。ガチャガチャが当人にとって必要か不要か学ぶいい機会になりました。

娘はプリキュアのおもちゃやりかちゃん人形をサンタを待たず自分の力でお金を貯めて買えるかもしれません。

集中力が高まる

モノが多い部屋、散らかった部屋はそれだけで注意散漫になります

人は・・

抑制(*他のことを考えないようにする)
想起(*思い出そうとする)
理解
判断
記憶

することに頭を使います。意思力と呼ばれることもあります。脳の前頭前皮質が活躍しエネルギーがなくなってくると精神的な疲れに繋がります。

脳の前頭前皮質集中とは意思力が一つの事に使えている状態です。例えば散らかった部屋であればどうなるでしょう?

足の踏み場がなければ意識して避けて通らなければなりません。(理解・判断)

そろそろ片付けしなければ、と意識が向くこともあるでしょう。(想起)

興味のあるモノが目に入ったらつい手に取りたくなるかもしれません。(抑制)

さて、都合の良い話ですが、来週のテストに向けて英単語の暗記(記憶)に時間を使おうとしてる人がいたとしたら、はたして集中できるでしょうか。

難しいでしょう。別のことに理解、判断、想起、抑制のエネルギーを使っているのですから、スーパーマンでもなければ英単語の暗記はうまくいきません。

おそらく意思力を使わずにすむ当面の問題である掃除でも何気に始めてしまうかもしれません。

掃除をしているいう自己満足は得られるかもしれませんが本来の目的は残念ながら達成できていません。

「よしやす!あんた勉強はしたの?」
「部屋の片付けしてたんだよ」
「あらめずらしい!えらいわね」

こんな親子の会話が聞こえてきそうです。そこがゴールじゃないんだ!と言いたくなりますが状況が集中力を奪うのだから仕方ありません。

だからこそモノを「捨てる」ということが集中力を高めることに一役買ってくれます。これらはなにも実際のモノではなく、スマホやパソコンにも同じことがいえます。

アプリのアイコンが大量にあるスマホ、フォルダ整理がされておらず大量のファイルがデスクトップにあるパソコンなどがそうです。

スケジュールを確認しようとしたのに、LINEの未読件数が気になってしまった。

クライアントへの業務報告書を作成しようとしたら、別件の進捗ファイルに目が止まる

などです。

どうでしょう、モノが多いというのもなかなか考えものだ、と感じてこられたのではないでしょうか?

したいことが見つかる

「捨てる」ことを何度も繰り返していると残すものが見えてきます。何が要らなくて、何が大切かが見えてきます。

自分の価値観に優先度がつけられるようになってきます

「場所とってるこのテント、メルカリにだそうかなぁ・・いやメインのテントがダメになったらキャンプ行けなくなる、それは嫌だ!」

「それならこっちのマンガも場所取ってるし、こっちを捨てよう。いつか見るかもしれないけど実際数年見てないしね」

こんな具合です。私にとってはキャンプに行けなくなることの方が大切だったわけです。

したいことはすぐには見つからなくても、したくないことは見つかります。残ったモノの中に自分の本当にしたいことがなんなのか理解できるようになります。

仮にそこに自分のしたいことがなかったとしても、時間やお金が生まれているはずですから、新しいことにチャレンジできるようになります。

「捨てる」ことが習慣になっていれば、したいことが見つかる、これは意外と、案外に、時間の問題だったりします。

部屋を見渡すと「したいことだけ残ってきてるな」これが執筆中の私の実感です。

満足感が得られる

時間が生まれ、金銭的な負担も減り、物事に集中できる環境で、大切なものに囲まれて生活し、チャレンジしやすい環境がそこにある。

これは私にとって控えめに言って満足です。

そうして、その満足感が「捨てる」習慣を強固にしていることを感じます。

人はモノに囲まれすぎて生きています。モノに付随する行動や情報にも同じことがいえるかもしれません。

ここまで一貫して「ミニマリスト」「ミニマリズム」という言葉は使いませんでした。ただモノを減らせばいい、という誤解が一部にあるからです。

しかし本質はそこにありません。自分の大切なことを見極めて、より自由に、より自分を活かし、より幸せであること。そこに本質はあります。

世界が、モノ消費から体験や共感を求めるコト消費へ変化していることもこう考えると理解が得られるのではないでしょうか。

なにもしないことが返って自分の将来の不幸になりうる。モノを抱えることも、捨てることも自由に選ぶとることができます。

とはいえ、ここまでのお話に共感や理解が得られたのであれば、目の前のささやかなモノから捨ててみるのも案外清々しい気持ちになれるかもしれません。試してみてはいかがでしょうか?